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【書評】イニシエーション・ラブ
鈴木夕樹は合コンで成岡繭子と出会う。
惹かれた彼は彼女と2人だけで会うようになる。
お互いを「たっくん」「マユ」と呼びながら。
本書は物語を「side-A」と「side-B」に分けられ
それぞれが章分けされて物語が進められます。
読了後には、その理由がわかるようになります。
帯には
「評判通りの仰天作。
必ず二回読みたくなる小説など
そうそうあるものじゃない。
読売新聞書評(2004年12月21日)より」
と ありますが、
別に二回、読みたくはなりませんでした。
それなりに見返しましたが、所々であって
全編をもう一度 読み返したいとは思いませんでした。
要はトリックを紐解いていくために
2度めを見返して伏線を読んでいく、ということでしょう。
伏線を見返したくなる、というのは正しいといえます。
でもそれは巻末の「解説 〜再読のお供に〜」を一読することで
大方 解消されるのでほとんど必要ありません。
二度読んで厳密にすべてを理解するより
一度と解説を読んで大まかに理解する方のほうが
断然 多いんじゃないでしょうか。
帯の言葉をあえて是として補足するなら
「必ずいつかは二回もう一回読みたくなる小説」
としたほうが真実味があるとワタシは思います。
時代設定が現在ではなく1980年代ということで
その時期にあった事件と絡めてあるのかなーと思ってましたが
完全になんでもない叙述トリックでした。
叙述トリックとはっきりわかる小説を読んだのは
「殺戮にいたる病 / 我孫子武丸」以来、つまり2作めだと思います。
が、早速 飽きというか味気なさを感じ始めてます。
それはつまり
「物語の時系列的進行とはまったく関係のない
小説的視点にのみ適用される表現だから」
という理由からだと思います。
簡単にいうと
叙述トリックは地の文(*)で大きく罠をしかけるけれど
それは小説による表現だからこそであって
実際にその事件を目の当たりにしている人間(脇役など)から見ると
まったく無意味なものになるかもしれないからです。
(「殺戮にいたる病」だと母親の蒲生雅子などからすると
叙述トリックはまったく意味をなさなくなる)
読み明けてみれば、たしかに
「なるほど、この伏線だからあの人はこう言ったのか」と
納得できる部分は少なからずあります。
結果的にはハッピーエンド? ですかね。
将来の見通しがはっきりしていなかったりしますが、
メインの4人はそれぞれ それなりの幸せを手にしてるように見えます。
読んでいる間は、トリックをかけている場所を
side-A でマユが鈴木との合コンをする際
実は鈴木以外の男にも目をかけていて……というものや
全編を通して鈴木やマユの隠れた行動が
最終結末に重大な事件(80年代に起きた歴史的事件)に繋がったり……
だとか そんなことを考えてました。
そこから叙述トリックだったと知ると
なぜかがっかりと落胆したような心境になりました。
あとミステリーというだけで、
文が設定的・記号的に見えてしまいますね。
どこが伏線か見抜こうと考えていると
どうしてもそういうふうに見えてしまいます。
なんとなく音楽を聞いていたら
DIR EN GREYの「mazohyst of decadance」が流れてきまして。
後半の鈴木ってなんだかんだいって楽天的さが見えてますよね。
*地の文
小説においてセリフ以外の、状況を説明する文。
惹かれた彼は彼女と2人だけで会うようになる。
お互いを「たっくん」「マユ」と呼びながら。
本書は物語を「side-A」と「side-B」に分けられ
それぞれが章分けされて物語が進められます。
読了後には、その理由がわかるようになります。
帯には
「評判通りの仰天作。
必ず二回読みたくなる小説など
そうそうあるものじゃない。
読売新聞書評(2004年12月21日)より」
と ありますが、
別に二回、読みたくはなりませんでした。
それなりに見返しましたが、所々であって
全編をもう一度 読み返したいとは思いませんでした。
要はトリックを紐解いていくために
2度めを見返して伏線を読んでいく、ということでしょう。
伏線を見返したくなる、というのは正しいといえます。
でもそれは巻末の「解説 〜再読のお供に〜」を一読することで
大方 解消されるのでほとんど必要ありません。
二度読んで厳密にすべてを理解するより
一度と解説を読んで大まかに理解する方のほうが
断然 多いんじゃないでしょうか。
帯の言葉をあえて是として補足するなら
「必ずいつかは二回もう一回読みたくなる小説」
としたほうが真実味があるとワタシは思います。
時代設定が現在ではなく1980年代ということで
その時期にあった事件と絡めてあるのかなーと思ってましたが
完全になんでもない叙述トリックでした。
叙述トリックとはっきりわかる小説を読んだのは
「殺戮にいたる病 / 我孫子武丸」以来、つまり2作めだと思います。
が、早速 飽きというか味気なさを感じ始めてます。
それはつまり
「物語の時系列的進行とはまったく関係のない
小説的視点にのみ適用される表現だから」
という理由からだと思います。
簡単にいうと
叙述トリックは地の文(*)で大きく罠をしかけるけれど
それは小説による表現だからこそであって
実際にその事件を目の当たりにしている人間(脇役など)から見ると
まったく無意味なものになるかもしれないからです。
(「殺戮にいたる病」だと母親の蒲生雅子などからすると
叙述トリックはまったく意味をなさなくなる)
読み明けてみれば、たしかに
「なるほど、この伏線だからあの人はこう言ったのか」と
納得できる部分は少なからずあります。
結果的にはハッピーエンド? ですかね。
将来の見通しがはっきりしていなかったりしますが、
メインの4人はそれぞれ それなりの幸せを手にしてるように見えます。
読んでいる間は、トリックをかけている場所を
side-A でマユが鈴木との合コンをする際
実は鈴木以外の男にも目をかけていて……というものや
全編を通して鈴木やマユの隠れた行動が
最終結末に重大な事件(80年代に起きた歴史的事件)に繋がったり……
だとか そんなことを考えてました。
そこから叙述トリックだったと知ると
なぜかがっかりと落胆したような心境になりました。
あとミステリーというだけで、
文が設定的・記号的に見えてしまいますね。
どこが伏線か見抜こうと考えていると
どうしてもそういうふうに見えてしまいます。
なんとなく音楽を聞いていたら
DIR EN GREYの「mazohyst of decadance」が流れてきまして。
後半の鈴木ってなんだかんだいって楽天的さが見えてますよね。
*地の文
小説においてセリフ以外の、状況を説明する文。
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